お参りのご案内


一言主神社には市指定有形文化財である御本殿や歴史的建築物、
様々な祭神を祀った境内社や御神木など多くのスポットがあります。
あわせて御守・神札、御朱印やその他頒布品のご案内もご確認ください。

御本殿

御本殿

中世の戦乱により荒廃していた当社本殿は、一言主大神を篤く信仰していた平将門の後裔と伝わる下総国守谷城主相馬弾正胤広侯の寄進によって長禄3年(1459年)に再建されたと記録されています。その後の約150年に渡り修復・焼失等の記録はありません。

現存する社殿には、更に近世へと下った元禄13年(1700年)正月13日、当社遷営の際に大修理が行われました。現存の棟札によれば、同国山川村の市村安兵衛を棟梁とした宮大工集団がこれを手掛けたと記録されています。

本殿の造りは一間社流造(いっけんしゃながれづくり)で、屋根は桧皮葺(ひわだぶき)風の銅板葺、朱塗りの社殿に彩色の施された彫刻が特徴です。身舎(もや)外壁の左右に「鳳凰と牡丹」、後側に「鷹と牡丹」の彫物、脇障子には当社ならではの「三岐の竹」の彫物がはめられています。

拝殿

拝殿は、当社別当寺であった普光寺という寺院が慶応3年(1867年)に拝殿を崇敬者の寄進によって再建したと記録されています。四間社の入母屋造(いりもやづくり)の銅板葺で、特徴的な向拝(こうはい)は昭和60年(1985年)に新築されました。

幕末の寺社建築であることから、江戸時代後期の宮彫り大工たちによる装飾彫刻が特徴となっています。拝殿彫刻の彫工については不明ながら、拝殿正面に掛けられている明治18年(1885年)の神額には「彫工 後藤茂二郎」とあり、いわゆる後藤流との関係を伺うことができます。

後藤流は元祖名人左甚五郎の系譜と伝わる初代後藤正綱に始まる宮彫りの名門で、名人には「安房の三名工」の一人とされる後藤義光などが存在しています。

拝殿

境内正面

手水舎

参拝に際して心身を禊ぎ清めていただく場所です。現在の手水舎は昭和天皇御在位60周年記念事業として、昭和60年(1985年)に新築されました。

清瀧権現社

清瀧権現(せいりゅうごんげん)という龍神様をお祀りする祠です。清瀧権現は真言密教を守護するとされる女神で、弘法大師空海によれば八大龍王の一王、娑伽羅(しゃがら)龍王の第三女、善女龍王であるとされます。この石仏はかつて当社別当寺であった普光寺の遺構であると伝わり、当社へ参拝するにあたり女人はまずこの清瀧権現へ参拝し穢れを祓ったと云われています。

三岐の竹

当社御祭神にご縁のある植物である三岐の竹(みつまたのたけ)が植えられています。この霊竹は当社近隣の氏子や遠方の崇敬者により奉納されているもので代々に渡り絶えることなく植生しております。三岐の霊竹と一言主大神の物語についてはこちらをご参考下さい。

霊竹殿

霊竹殿には歴代の三岐の霊竹が奉安されています。当地周辺に発生したもの、関東一円の崇敬者より遠方から奉納されたものなど様々な霊竹が納められています。御祭神降臨の神威に畏み、成長の霊力の象徴として怪我の回復や幼子の健やかな成長などの御利益を祈念される方が多くおられます。

大黒社

大黒社は七福神の一柱である大黒天をお祀りする神社です。大黒天は大黒柱とも言うように生活の中心である食物・財福を司る福の神であり、またその名が「だいこく→大国」に通じることから、国創りの神である大国主大神とも同一視されます。広く産業全般また蓄財・招福に御利益があるとされています。

拝殿裏手

稲荷社・香取社

稲荷社と香取社は当社の摂社のなかでも古くからお祀りされており、特に稲荷社は福壽稲荷社とも称されました。御祭神はそれぞれ宇迦之御魂(うかのみたま)神、経津主(ふつぬし)神であり、宇迦之御魂神は稲荷大明神として広く農業、商工業、福運の神、経津主神は香取神として、武芸守護、海運・商業守護の神として崇敬されております。

縁結び社

縁結び社は縁結びの神である出雲の大国主(おおくにぬし)大神をお祀りする神社です。大国主大神は日本の国作りの中心として偉業を為された大神であり、日本全国各地において農耕・漁業・殖産から医薬まで様々な知恵を授けられ、神々や人々と縁を結びました。その御神徳から男女の縁、また広く人々の縁を取り持ち、御利益をお授け頂ける大神様と崇敬されています。

梛(なぎ)の木

縁結び社横の「梛の木」は葉が切れにくいことから縁結びの木とも云われ、この木の落ちた葉を持ち帰ると良縁を得られると伝えられます。その昔、流人時代の源頼朝と北条政子は夫婦の縁のきれぬよう、離れていても相忘れぬようと鏡の底に梛の葉をお守りとして忍ばせていたと云われています。当社では年一度この葉を使い、縁結び守りを奉製しています。

御神水

当社境内の地下水が汲み上げられております。いわゆるお水取りなどの際にご自由にお持ち帰り頂く事ができます。飲用水としてご利用になられる場合は、衛生のため必ず煮沸消毒を行いご利用下さい。

御神木

当社本殿のほぼ真後ろに垂直に聳える杉の大木です。正確な樹齢は不明ながら、かつては近隣であればどこにいてもこの杉が天高く立つことを確認でき、当社の目印となっていたと云われています。

拝殿裏手

合社十三社

旧大塚戸村に祀られていた地域の神々を祀るお社です。明治42年4月30日、村落内のいわゆる無格社13社が当社へ合祀されました。内訳は、浅間神社、同白髭神社、同大日留女社、同八坂神社、同別雷神社、同道祖神社、同天神社、同妙見神社、同三王神社、同八幡神社、同愛宕神社、同三峰神社、同厳島神社の計13社で、なかでも三峰神社は江戸時代前期より続く当社「葛城流からくり綱火」が元々奉納される起源となった神社でもあります。

石棺

この石棺は神社から1.5kmほど西北の地点に存在していた大塚戸古墳群の墳墓の一つに納められていたものです。発掘対象となった古墳は、古墳時代後期のものとみられる縦30m横22mの前方後円墳で、昭和36年(1961年)に当時の水海道中学校郷土クラブの会員生徒たちにより西宮一男教諭指導のもと発掘されました。当時の利根川流域における人々の定着と古代文化の発展を物語る当時の貴重な資料として当社に保存されています。

御神砂

当社にて祓い清められた砂が納められています。ご自由にお持ち帰り頂き土地の四方に撒き、清める等の用途にご利用いただけます。